【shinSDGsのプロフィール概略】
HN:shinSDGs
出身:東京
性格:「熱い」と言われることがあります
出没:新宿区 / 練馬区 / 杉並区など
職業:カメラマン / SDGsアンバサダー
活動:SDGs推進&実行
理念:「誰もが自由にやりたいことにチャレンジできる世界を創る」
趣味:写真作品撮影 / 合気道 / 革ジャン / ブーツ / アロハシャツ / フラダンス / ウクレレ / 新選組
旅行:国内 / 南国
食:麺類 / 野菜 / 大豆製品
音楽:Bon Jovi / Aerosmith / Van Halen / OASIS / Mr.BIG / Guns N’ Roses / B’z・Mr.Children / 鈴木みらい / DAISHI DANCE
本:7つの習慣 / 7つの習慣ファミリー / 嫌われる勇気 / 幸せになる勇気 / WHYから始めよ! / FACTFULNESS / 武士道シックスティーン
学歴:高等専門学校
経歴:事業構想大学院大学SDGs新規プロジェクト研究員2期終了 / JCI Japan 認定 SDGsアンバサダー / SDGs for school 認定 エデュケーター / SDGsアウトサイド・イン・ゲーム ファシリテーター
所属:青年会議所(2019年卒業)
母子家庭に育った家にお風呂がない幼少期
母子家庭に育った僕の幼少期はとても貧しいものでした。
それでも母は自分は我慢をし、必死で育ててくれました。
住んでいた家は明らかに古くてボロい、部屋が一つしかない、壁が薄い、お風呂がない・・・
僕の記憶では、4歳くらいの時に住んでいたマンションから、急にボロボロの木造アパートに引っ越したという覚えがあります。
小学生の時はそういう家に住んでいました。
近くには、同じ学校に通う裕福な同世代が住んでいて、いつも最新のゲームやおもちゃで遊んでいます。
僕はそれを横目に、人がやっているテレビゲームを見ているだけ。
今みたいにeスポーツとかじゃないから、人がやっているのを見てるだけっていうのは、とにかくつまらなかったです。
しかもみんなでやれるやつとかじゃなくて、ドラクエだし(笑)
「うちもファミコン買ってよ!!」と無理なことを分かっていてもわがままを言って母を困らせました。
学年が上がるごとに増していく”貧乏コンプレックス”
学年が上がるにつれ、意識もしていくようになり、貧しいことを隠しながらごまかしながら生活していました。
「貧乏は悪、貧乏だと笑われ見下される」といつの間にかそんな思いが強くなっていたのです。
月の小遣いなどは当然なく、お正月や夏休みなどに、親戚の家に遊びにいった時にもらうお年玉やお小遣いだけが楽しみでした。
小学校の高学年から中学生にかけて、夏休みや冬休みにはキャンプやスキーなどに誘われるようになったのですが、泊りがけ=お金がかかると思った僕は「その日は別の予定があるから」などといって断っていました。
現在も理由は聞いていませんし、もうどうでもいいのですが、その当時は僕らを置いて出ていった父親を心の中では恨みまくっていました。
「あいつが僕らを貧乏にさせたんだ!」そう思いながら小学生くらいの頃は過ごしました。
人のせいもいいところです(^^;;
それでもなんとかして、サッカーを習わせてくれたり、塾にいかせてくれたり、兄弟もいたのに一生懸命育ててくれた母と、近くに住んでいた母の姉である叔母には当然感謝しかありません。
お金を稼ぎまくっていたのに、自分のためだけに使っていた親不孝な学生時代
学生になった僕は、すぐにアルバイトを始め、「とにかく稼いで自分の好きなものを買いまくってやる、好きなだけ遊んでやる」と働きまくる毎日でした。
飲食店で週7日、時間のある限りバイトに明け暮れていました。
貧乏コンプレックスを払拭することに必死だったのだと思います。
毎日バイトで遊ぶ時間もないのに、なぜかお金は全く貯まらず、家にもお金を入れず、とにかくあちらこちらで使いまくっていました。
なんとも親不孝な息子です・・
社会人のスタートは、カメラマンのアシスタントから。
学生最後の春休みにスノーボードに行った僕は、上越国際スキー場のナイターで、飛べもしない高さのジャンプ台に突っ込み着地に失敗、「あれ??起き上がれない!!」となり、そのままレスキュー隊に現地の病院まで運ばれました。
結果は腰椎横突起骨折・・・
腰の一番曲がる部分を骨折しました。
病院の先生には「爪がかけた程度の折れ方だから」とか看護婦さんには「この程度なら歩いて帰る人もいますよ」とか言われたのですが、まったくそんなことはなく、人生で一番痛い思いをしたと思います。
地元の病院まで介護タクシー?という感じの車両で運んでもらい、そのまま入院生活となったのですが、とにかく体のどの部分を少し動かしただけでも、足の親指を動かしただけでも腰に激痛が走るのです。
「ぅあぁ~、ぅぅぅ・・・」と声にならない、というか声にするとまた痛みに響くし、グッとこらえて力んでも痛いし、地獄のような10日間でした(笑)
10日ぐらいを過ぎると、激痛は治まってきました。
「完治まで3ヶ月はかかる」と診断され、その時も結局仲間や母、そして当時居候させてもらっていた叔母にもすごく迷惑をかけました(−_−;)
そんなわけで、決まっていた就職も3ヶ月遅れての入社となったわけです。
余談ですが、その当時、結構な頻度でお見舞いにきてくれていた同学年の女の子に、入院中に告白したらフラれたというショックで、病院にいるのが辛くなった僕は、先生に無理を言って退院を2週間ほど早めてもらいました(笑)
春に桜の季節なのに、入院という外にも出歩けない苦しい状態の時に見舞いに来てくれるなんて、普通に考えたらかなり脈アリ、というかこっちからぞっこんになっちゃいますよね(°▽°)
結局僕の勘違いで桜は儚く散り・・
その時に流れて爆発的にヒットした曲は”桜坂”です。
あの時は心に染みまくりました(笑)
社会に出るもすぐに挫折し、フラフラ気ままにいきていた独身時代
そんなこんなで病院からもOKが出て、やっとスタートした半年遅れの社会人生活。
カメラマンになるという夢を抱きながら、アシスタント、そして希望に満ちての入社でした。
が、あっさり挫折・・・
とにかくつまらない(笑)
雑用や荷物運び、先輩アシスタントのサポートなど、そういう日々の中でカメラマンになるための技術などを磨いていく。
それは、その当時のカメラマンへの道の当然のセオリーだったし、僕自身も大変であることは承知の上で臨んだわけです。
いろいろ面倒をみていただいた、その時の先輩やカメラマンの皆様にはもちろん感謝だらけですが、僕はやっぱりつまらなかったのです。
「そうか!好きな写真を撮っていないからつまらないんだ!!」
もともと人間が好きな僕は、アシスタントをしていた時も休みの日は駆け出しのモデルさんや自分の仲間たちなど、人物の撮影をして作品制作をしていました。
働いていた会社は9割以上が商品、いわゆる”物撮り”だったので、僕にとってはストレスになっていたのです。
と、気づくまで3年かかりました(「石の上にも三年」ということで、3年間はアシスタントとして働きました)つまらない気持ちでやっていたせい、というかそもそもの要領の悪さも手伝って、3年やってもポンコツアシスタントでしたが(笑)
アシスタントをしていた会社を辞め、その後はいろいろフラフラしながら、小さな広告代理店に入って写真を撮ったり、休日には個人的にも撮影の仕事を受けたり、安月給でしたが独身だったので気ままにに過ごしていました。
好き勝手に生きていた社会人生活に変化が起きたきっかけは我が子の誕生
そこから数年経って、当時付き合っていた今のカミさんと結婚して一年後には娘が生まれました。
不思議なもので、親になると気持ちが一気に変わります。
「この子が成長していく中で、好きなことにチャレンジできるように最大限のバックアップをしてあげられる親でありたい」という思いが強く出てきたのです。
自分の時のように、金銭的な理由でやりたいことにチャレンジ出来ないということだけは、させたくなかったし、それはい今も変わりません。(繰り返しますが幼少期の環境にコンプレックスはありましたが、母と叔母には感謝とリスペクトしています)
当時の安月給のままでは、それは叶わないので、独立してフリーランスのカメラマンとして生計を立てることにしました。
娘に好きなことに自由にチャレンジしてもらいたいと思うなら、父である僕自身も好きな人物撮影の仕事で稼ごうと決めたのです。
一応、それなりに準備はしていました。
とはいえ独立したての時は、売上も想像以上に厳しく、当時は毎日”笑っていいとも”を見て過ごすなんていうこともありました^^;
それでも、なんとかかんとか必死で仕事にこぎつけ、現在は主に企業のホームページやパンフレット用の写真や投資系の雑誌撮影を中心に、他にはカタログ撮影や学校案内、ウェディングや記念写真なんかも撮ったりします。
7割が写真3割が動画といった感じです。
もともと人物の撮影が好きだった僕は、おかげさまでやり甲斐のある撮影案件をいただけています。
やっぱり、声をかけてコミュニケーションを取りながらの撮影は大好きです。
お子さんからご年配、モデルさんも、芸能人も、一般の方も、職人や経営者の方までとにかくいろいろな人を撮らせていただきました。
「とにかく場を明るくしてくれるからみんないい表情になります!」
「フットワーク軽くてスピーディーだから助かります」
「写真の雰囲気が好きです」
といっていただけるのは本当に嬉しいですし、その写真を通して、クライアントの目的のためにサポートをすることがカメラマン堀内の使命です。
なぜ人物写真が好きなのか?
僕はもともと”人間”が好きでおしゃべりも好きです。
撮影はその延長線なので、言葉の代わりにシャッターを切りながら写真が撮れたら、そしてその写真に写った人が、見てくれた人たちが、喜んで笑顔になってくれたらと思って撮影しています。
カメラは、コミュニケーションツールの一つといえるかもしれません。
あ、もちろん撮影中はまったく話さない訳ではなく、本当におしゃべりしながら撮ることもよくあります。
SDGsと出会い、「自分さえ良ければいい」ではいけないことをに気づく
そこから数年経ち、仕事の他にも自分の見聞を広げたく、公益社団法人の団体で社会活動をするようになりました。
仕事以外でもいろいろな人と出会い、学びを得ていく中で、SDGs(エスディージーズ)というものを知ったのです。
「SDGsとは、国連で採択された世界を変える17の目標」といわれても初めはまったくピンときていなかったのですが、話を聞くたびに、僕が子どもの未来を考えるときに、必要なことであると考えさせられるようになりました。
愛する我が子を持つ親になったこともあり、子どもが辛い思いをする貧困や虐待といったニュースには、敏感になっていったのです。
大気汚染や、プラスチックゴミ問題、温暖化、紛争、ハラスメント、日本の少子高齢化、そして貧困や児童虐待に児童労働など、数えきれない問題が世界中で起こっており、”遠い未来のこと”ではなく、もうすぐ目の前、自分たちが生きているこの時代ですら影響を受けているという事実がそこにはありました。
そしてその問題は、それぞれが原因となり、全てつながっているということを知ったのです。
もちろん貧困や児童虐待にも。
「これって本当に本当のことだよね??こんな目の前に迫った危機なのにみんな、のほほんとしてて良いの??やばくない??」と話したことを思えています。
恥ずかしながら、しっかりと話を聞くまでは僕自身も環境問題などは気にもしていませんでした。
ニュースで流れたとしても「どうせ国がなんとかするだろう」と思う程度でした。
2050年には世界人口は100億人に迫り、にもかかわらず「日本は4割が65歳以上」と内閣府が発表。
国連も「2050年の海は魚よりもプラスチックの方が多くなる」と発表し、「漁業はできなくなる」ということもいわれています。
もしあなただったら、危機的状況だと分かっているすぐそこの未来に、愛する我が子を放り出すことができますか?
「いつまでも”国任せ”でいいのか?」僕は考えただけで恐ろしくなりました。
このまま何もしないのは、子どもたちにとってあまりにも無責任な大人になってしまいます。
「自由にやりたいことにチャレンジできるようにしたい」とかいっておきながら、それを壊そうとしています。
同時にその学びの中で「自分さえ良ければいい」ではいけない、問題から目をそらさず、みんなで解決に向けて取り組まなければいけない、と気づかされたのです。
このブログを始めようと思った理由は、今まで語ってきた過去の経験からくる想いが強いです。
片親で貧しかった幼少期。
娘には自分の時のように、金銭的な理由でチャレンジしたいことに制限をさせたくない。
愛する我が子を持つ親になったこともあり、自分の娘以外にも、子どもたちが辛い思いをする貧困や虐待といった状況は見てられない、なんとか減らしていきたい。
こういう経験からくる想いや、その中でSDGsというものの重要性を学んだことで、自分はSDGsをビジネスに取り入れ実行していくと同時に、一人でも多くの経営者の方に推進していかなければいけないと、強く思うようになりました。
そして一つでも多くの社会の問題を、ビジネスで解決に導き、みんなが笑顔でいられる平和な未来にしなければと思っています。
SDGsを知っていくと分かるのですが、世の中の問題はそれ同士が密接に関係しあっています。
一つでも多くの社会の問題を解決することは、同時に貧困や虐待の問題解決にも繋がるのです。
僕自身もSDGsを知るまでそうであったように、まだまだ世界の問題を自分ごととして捉えておらず、そういった話も右から左へと流れていっている人が多いと思います。
意識すれば、新聞やネットでも様々なニュースは出ていますが、テレビではSDGsに関するニュースや話題はほとんど見ることはないし、「世界を良くしよう、持続させよう」という雰囲気は現時点では、まだ一部でしか感じられません。
差し迫ったすぐそこの未来に、そしてそこで生きる子どもたちのためにも、今われわれ大人が解決に向けて動かなければいけないと思っています。
であれば、僕も発信者の一人になり、世界を変える同志を増やしていければと思ったのが、このブログを立ち上げた理由です。
一人でも多くの経営者さんに届け、共に持続可能で平和な世界を目指していけたらと思っています。
ビンチが大きなチャンスに変わるのがSDGs
このブログではSDGsの基礎から、それをどのように自社に落とし込めばいいのかを、独自のSDGsビジネス構築術の内容を踏まえ具体的にお話をしていきます。
世界経済会議では、SDGsをビジネスに組み込んでいけば世界で12兆ドルの経済が動き、3億8000万人の雇用が創出されるとの予想が立てられています。
遠い外国の話ではなく、実は日本政府も推進しており、むしろこれからは、SDGs達成への動きをしない企業は信頼を失い、取り除かれていってしまう可能性の方が高いのです。
今取り入れて実行しなければ大きな損失につながります。
裏を返せば、SDGsを取り入れ実行すれば、企業の成長にとって大きなチャンスになるということ!
現在、大企業の一部にしか伝わっていないSDGs、しかし実行している企業はまだまだ少ない現状。
経営者層はもちろんのこと、従業員にもSDGsを浸透させる必要があります。
これはかなり大変なことだというのは、想像に難しくないでしょう。
通常の業務がありながら、新たに学ばなければいけない横文字が降ってくるわけですから。
この辺りも、楽しく、そして当事者意識を持って浸透していく方法についてもお話ししていきます。
学術的ではなく、あなたが経営する会社で”実践”するためのSDGsを伝えます
最近はSDGsにまつわる情報や、取り組みの事例なども多く記事に上がっており、調べれば出てきます。
しかし、そのほとんどは環境問題など、世界の現状やSDGsができた背景など、学術的な情報が多く、実際のビジネスにどう落とし込んでいけばいいのか?という実践的な情報が少ないのです。
「SDGsの内容は概要だけフワッと分かった」だけでは、その次の実行のステップに進められるわけもありません。
これでは「SDGsに取り組もう」といいながら、企業がビジネスで世の中を良くすることはできなくなってしまいます。
BtoBでもBtoCでも、消費する側は、自分たちが困っている、良くなってほしいと望んでいる問題を、解決に導いてくれる商品やサービスと、そうでない商品やサービスどちらを購入してくれるでしょうか?
お金や、やりやりがいを重視しているというミレニアル世代が、就職先を考える上でも、まさにSDGsが重要視されているのですが、そのことを知らない企業はまだまだたくさんあります。
世の中のために取り組んでいるビジネスをしていない企業は、信頼を失い、質の良い人材の採用には繋がりません。
同様に投資家たちは?銀行の融資は?
SDGsに取り組むことで得られるメリットから糸口を
SDGsに取り組んでいる企業は
・競合から抜け出せる
・価格競争に巻き込まれなくなる
・従業員が幸福感を持って働ける
・離職率が減る
・優秀な人材が集まってくる
・新規事業を打ち出せる
・今まで全く接点のなかった業種とビジネスコラボレーションが生まれ新たな市場で収益を生むことができる
・業績拡大
・企業価値が向上する
・投資家からの信頼を得て投資されやくなる
・融資を受けやすくなる
・ブランディングになる
など社内外において様々なメリットが生まれます。
ルールや規制のないSDGsだからこそ、様々なアプローチで取り組むことができ、その姿勢では自社のブランディングになることも十分に考えられます。
社内変革からのアプローチで独自のSDGsビジネス構築術を展開
SDGsビジネスが狙っているのは、人権、経済、社会、環境など様々な問題。
一見「自社のビジネスとはなんの関係もない」という経営者の声も少なくないですが、それはチャンスを逃していることになります。
関係ないのではなく「やり方を知らない」だけなのです。
様々な問題があるということは、それを解決していくことで自分たちを含めたくさんの人々が幸せになります。
このブログでお話しする、独自のSDGsビジネス構築術は、社内変革からのアプローチを軸に進めてまいります。
上記の様々なメリットにもつながるヒントや具体的な方法を、事例などを踏まえて分かりやすく説明していきます。
「口ばっかり」といわれて評判を落とさないように、僕のSDGsビジネス構築術をしっかり取り入れて、自社の発展と地球の明るい未来のためにみんなで達成に向けて取り組んでいければと思っております。
『誰もが自由にやりたいことにチャレンジできる世界にする』
この世に生を受けたからには、自由に自分のやりたいことにチャレンジできるべきである。
人それぞれ様々な価値観はあるでしょうが、夢や希望を持ちそれに向かって生きることこそ、充実感や喜び、そして生きている意味を感じられると僕は思います。
当然これは「わがままに好きなことをやっていい」といっているわけではありません。
僕個人は、自分の生い立ちからくるものや、一人の父親の立場として、前段お伝えした通り、特に子どもの貧困や虐待死によって、そもそも夢を持つことだったり、それに向かってチャレンジすることが叶わないという世界は、なんとしてもなくしていかなければと思っています。
これは自分の子どもさえ良ければいい、というものではありません。
誰か一人だけが良い思いをしたとすれば、そのしわ寄せ、反対のことが別の誰かにいくことになります。
自分の子どもの未来を考えるのであれば、世の中の子どもたちに対しても良い未来にしてあげなければ、それは達成できないのです。
様々な問題の連鎖による危機的な状況は、自分たちにも跳ね返ってくる
地球規模の目線で見たとき、すべての問題はどれも複雑に絡み合い繋がっていることに気づきました。
例えば、貧困問題の原因の一つというのが、森林伐採だったりするのですが、それを聞いただけで繋がりを想像できますか?
子ども=未来です。
環境破壊に海や大気汚染、差別などの人権問題、そこから来る決して大げさではない、近い未来の地球の危機的な状況に、われわれ大人は自分ごととして考える人が圧倒的に少なく、むしろ子どもや若い世代の人たちの方が積極的に行動に移しています。
地球を借りているのは人間であるにもかかわらず、その環境を破壊し、未来に生きる子どもたちの場所を奪おうとしているのです。
今まで、人間が人間のために、便利になるし良かれと思って続けてきた発展は、地球という星に多大なるダメージを与えてきました。
人間が蒔いた種は人間が回収し、子どもたちのためにあるべき未来を残していかなければいけません。
誰もが自由にやりたいことにチャレンジできる世界にしていく、今がその時なのです。
変革をもたらす有効な手段の一つがビジネス
社会の問題対策に金儲けかよ!?という言葉が聞こえてきそうですが、そうではありません。
ビジネスという手段を使って、地球規模まで膨れ上がった世界中の様々な問題解決に向かって挑むのです。
ビジネスである以上、結果的に当然収益も上がります。
平和で明るい安心な未来を築きつつ、自社の発展にもつなげる。
それはまた子どもたちの笑顔の向こうの未来のために還元されていく。
このような好循環なサイクルが持続的に回っていけば、こんなに素晴らしいことはありません。
SDGsの推進にも深く関わっておられる、博報堂の川廷昌弘さんも「きれいごとで勝負する時代」とおっしゃっています。
きれいごとで上等ではありませんか!
きれいごとでも、それに本気で取り組み、”きれいなできごと”に変えていくのです。
SDGsにはそのエッセンスがふんだんに詰まっているのですから、利用しない手はないということですね!
これからは経営利益だけでなく、環境利益を求め、両輪で回していくことが重要なのです。
だからSDGsの推進と実行が必要であり、自分の使命だと思っています
僕はカメラマンとして、現在は中小企業さんのウェブサイトやパンフレットの写真やPR動画などを撮らせていただいています。
そのような企業様でも、SDGsについてまだまだ浸透していない現状を感じること多いです。
ただ、SDGsという言葉を知らなくても、既に環境のため社会のため、人々の困っていることを解決しようというビジネスモデルの企業は日本にたくさんあるはずです。
であるなら僕は、そこにSDGsの概念をしっかりと当て込み、さらに飛躍的な成長に繋げていくサポーターになりたい。
そうすれば、超危機的状況を予測されている未来は変わると信じています。
せっかく撮影を通して知り合った(これから知り合う)企業様ですし、一層に社会のためになる動きを、ビジネスとして展開していってもらい、それを撮影という形で応援させていただけるのであれば、こんなにいいことはない。
そんな想いでSDGsの推進と実行をしています。
そして、誰もが自由にやりたいことにチャレンジできる世界にしていきます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
SDGsは、その意識を持ってビジネスに取り入れていくことで、持続可能な未来につながるということが少しでも伝わっていたら嬉しいです。
そしてこれから、このブログを読んでいただくことで、実践へのはじめの一歩を踏み出していただければと願っています。
踏み出した先の未来が、みんな笑顔で光り輝く素晴らしいと世界になることを目指して。
その世界では、誰もが自由にやりたいことにチャレンジできるはずです!